2011-11-13
Q34 サーフィンの話を聞きたい。この前バリでやったら20分で飽きちゃいました。
Q34 サーフィンの話を聞きたいです。この前初めてバリでやったんですけど20分で飽きちゃいました。サーフィンの魅力って何ですか?
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A34 バリ島の浜辺でスイカジュースを飲んでる鷹の目の答え
いろんな角度からお話したいと思います。
まず、憧れについて。
鷹の目がサーフィンを始めたのはわずか1年前のことですが、
鷹の目は、ずっとサーフィンに憧れを持っていたのです。
サーファーにと言ってもいいのかもしれませんが、いつごろでしょうか、少なくとも5,6年前にはすでに、サーフィンのサの字も知らないころから、将来の夢、として、海辺の町に住み毎日サーフィンをする生活、を挙げていたのです。
まず、朝起きて波を見に行きます。波がよければサーフ開始です。良くなければいったん家に戻って他の用事を済ませます。昼間は仕事など種々の用事をやり、夕方、また波が良ければささっと自転車にのってサーフしにいくのです。
そんな生活にどこか憧れを抱いていたのです。海水浴に年に1度も行かなような男がです。
まずそこから話はじめなければならないのです。
そして旅の途中で出会う数々のサーファーたち。彼らは口をそろえていいます。一回いい波のったらやめられないよ、と。中には波乗りが生活の中心にあると断言する野郎さえ少なくありませでした。それってどんなもんだろう?
しかし、運動神経に相当自信のない鷹の目は、さらに言えば海水浴中に波酔いしてしまうことさえあるひ弱なインドアボーイの鷹の目が、サーフボードの上に立つのはまだまだ長い道のりが必要だったのです。
そんなある日、鷹の目コラムでよく出てくる、極端だけどしごく真っ当なセラピスト吉福さんのことを聞いたのです。
それは、千葉方面のとある知人宅でした。そのころ、ぼくは心理学やセラピーに大変関心があり、いろいろな本を読みあさっていました。その中に吉福さんの本もあり、名前くらいは記憶していたのです。
そのとある千葉の知人宅に、吉福さんの本「処女航海」があったのです。ぼくが「あー吉福さんの本だ」と言うと、本の持ち主が、「あ、吉福さん知ってるの?今ハワイでサーファーになっちゃたよ」
え?ハワイでサーファー?心理学はどうしたんだよ。トランスパーソナル心理学はどうしたんだ?
ぼくがあっけにとられていると、昔から吉福さんをよく知るという知人がぼそっと言いました「あの人そういう人だよ」。
たぶんそのときだっと思います。吉福伸逸という男がぼくの中に非常な意識される存在として小さくスパークしたのです。いずれ会ってみたい。そう思うと同時に、たぶん思考の中で言語化されていなかったか、単に後付けで言ってるだけかはわかりませんが僕の心の中で「サーフィン」というものが、いずれやってみなければならないもの、として異議申立てをしてきたのです。
どうでしょう、ついてきていますか?どうでもいい話題が長いでしょう?だが、ぼくがサーフィンを語るならここから語り起こさなければならないのです。質問してきたのはあなた自身だということを肝に銘じて続きを聞いてください。
まあそんなこんなでサーフィンが頭の片隅に住み着いたまま、それでもまだサーフィンに触れることもなく、数年が過ぎました。サーフィンには触れることがありませんでしたが、吉福さんには触れるようになっていました。ワークショップに出たり、講演会にったりなど、し始めたのです。
そして、とあるアメリカ旅行の帰りにハワイに寄って吉福さんを訪ねてみることにしたのです。その訪問記は「吉福インタヴー」に筆を譲るとして、そのとき、吉福訪問の前に、ワイキキで初めてサーフィンなるものを体験したのです。
ワイキキで長い長いロングボードをレンタルしました。そいつを持って3日間、海に通いました。
苦節数時間×3日間、ぼくは結局、サーフボードに立つことができなかったのです。
レッスンを受ければよかった・・・後の祭りで後悔したことを言い添えておきましょう。
そして、その後に吉福訪問だったのですが、これがそのときの会話です。
鷹の目「吉福さんサーフィンされるんですよね~」
吉福 「お前もサーフィンやるの?」
鷹の目「昨日ワイキキで初めてやったんですよ」
吉福 「板の上には立てたかい?」
鷹の目 「いや~難しいですね~。でもちょっとだけ立ちましたよ、2秒くらい」
吉福 「お前それ、立てたって言わないよ。お前まだ波乗りできてないよ」
鷹の目「(そりゃそうだけど、そんな風に言わなくてもいいじゃん・・・)」
と、こういういきさつもあったことを申し述べておきます。
このとき心に誓ったのです。いずれ必ず吉福さんを前にして「ぼくは立ちましたよ」と言わなければならない、と。
そしてそして、こんなことがあってもまだここから数年間、ぼくは波乗りに手をつけなかったのです。
海も遠く、ボードもないし、ひたすら億劫だったのでしょう。
しかしそんな鷹の目と波乗りの関係にも転機が訪れます。
とある夏、人生上でかなり目の嘆かわしい出来事があり、ある日、衝動的に小田急のロマンスカーに乗ったのでした。
夏も終わりかけの9月になろうとするときでした。まだ蒸し暑く、夏といってもいい日がつづいており、もう海にいくのもそろそろ最後だな、と思った瞬間、そうだ、以前、波乗りにいいと聞いていたあの海を見に行こう、と思い立ったわけです。
小田原を過ぎ、とある海岸にたどり着きました。少ししなびた海水浴客もまばらなビーチがありました。左右を山に囲まれたこじんまりと居心地のいいビーチでした。鷹の目はサーファーを探しましたが、いませんでした。とりあえず海の家で休憩することにしました。海にはボディーボード貸します、の看板が並んでいます。鷹の目は海の家のおばちゃんに、ボディーボードを貸してくれと告げました。おばちゃんは、「ここらで借りると高いからね、ほら、これ貸したげるから」とこっそりと裏からボディーボード(もどきのでかいビート版)を持ってきてくれました。
鷹の目は、そのビート板を持って海に走っていきました。そろそろ2時を回ろうかという夏の昼さがりでした。
とはいえ鷹の目は、海に入って気が付きました。そういえばおれ、波に乗るってどういうことか知らないわ。
よくわからないから、とりあえず波が来たらエイッとばかりにビート板の上に腹ばいになってみました。何も起こりません。ビート板の上に腹ばいになっている鷹の目が波に揺られているだけです。
でもたしかこんなことだったよね?とそんなことを繰り返していたときです、あるとき、エイッと腹ばいになった鷹の目を波がツイーっと岸まで連れってくれたのです!
おおおお?!いったいこれは何だ、何なんだ。これが波に乗るということか~。
鷹の目は瞬時に波乗りという行為の意味を悟ったのです。これか~これだったのか~。
だとすると、ハワイで必死にやっていたのは波乗りではなく、ただのボード飛び乗りだな、ということにようやく気づいたのでした。
ですが、人生万事そのようではありませんか?何だってできてしまってからやり方がわかるのです。
その逆ではありません。
で、初めていわゆる「波に乗った」鷹の目は、また一目散に沖に走っていきました。その後、夕方まで何度も何度も波に乗ったのでした。
かくして鷹の目は、心地よい疲労感と、すこし遠くから見守る寂しさとを胸に、初めて知った波乗りの楽しさをかみしめていたのでした。ありがとう小田原の海、ありがとう、ビート板!
どうですか?長いでしょう?もうアキアキしたでしょう。ここまで来てまだサーフィンしてないのですから困ったものです。ここまで書いたらあとはすっとばしてもいいのです。
その翌日、鷹の目はインターネットを調べ湘南のサーフィンスクールに通いだすのです。
そして先生がたのご指導のもと、初日にして、ようやく、5,6秒の間、板の上にたつことが叶ったです。一応、立ったまま岸までいったのです。立派に波乗りしたと言っていいでしょう。板の上でヤッホーと叫ぶいとまくらいはあったのですから。ざまあみろ、吉福某、おれは乗ったぞ、波に乗ったんだぞ~!心の叫びが湘南海岸にこだましたことは言うまでもありません。
まあ、その後鷹の目は、長い板でいい波があれば、普通に波に乗ることができるようになるのですが、ここからはもはや余談と言ってもいいでしょう。波に乗れると単純に楽しいだけです。
ピンとこない人にはこう言うことにしています。あのね、あなたも幼いころ、堤防の芝生を段ボールに乗ってすべったことがおありでしょう?まあ、それですよ、と。
大人になってダンボールに乗れなくなった大人が、サーフボードに乗ったのです。ただそれだけのことなのです。
えっと質問はなんだっけ?20分で飽きてしまった、そうですか。
きっとあなたにはストーリーというものがなかったせいでしょうか。苦節何年、やっとこさ!という物語がなかったわけですよね。
さらに言えば、ぼくにとってサーフィンは、海とぼくとの間をつなげてくれる貴重なお友達でもあるのです。
ぼくは海というものを眺めるが好きで、海の見える場所に住めたらなあと誰もがえがく夢をまた描く者でもあります。
しかし、いざ海まで行くと意外と好きじゃないのです。海に入ることが。塩からいしベタベタするし波酔いするし、なんだかちょっとはしゃいだらもう帰りたくなってしまうものだったのです。
ところが、サーフィンをするとなると、2,3時間は海にいるのです。そして何よりも、夏以外の海にもぼくをいざなってくれたのです。事実、湘南では真冬の海にも浸かっていました。寒さよりも波に乗る興奮が勝っていたわけです。もちろんしっかりウエットスーツを着込んでいたことは言うまでもありません。でもすごいでしょ。
ということですので、これ以上もう何もいいたくないのです。あとは行間を勝手に読み取って納得してほしいのです。もうキーボードを打つ指が疲れたのです。
ということなんで、こんど鷹の目と一緒に海に入ることがあれば、サーフィン歴1年のビギナーとは思えないうんちくとともに、サーフィンを語ってあげます、かつ、まだ立ったことがない人には、立てたよろこびをあなたへ。
しかし質問者のように、たぶんわずか20分でボードに立ててしまったのでしょうが、そのような器用な人には、鷹の目がサーフィンの面白さ、立てた喜びを教えて差し上げることはできないと思いますので、それは残念です。まさかわたしが!と全く立てる気がしない運動音痴か海嫌いの人にだけ、鷹の目のサーフレッスンは実施されるのですから。
では、さようなら。ここまで読んでくれた人、あんたすげーよ。きっとお友達になれそうですね。
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鷹の目Q&Aとは......>>> 鷹の目Q&Aとはバリ島に住む変人・伊藤鷹が,あらゆる質問にバリ島に住んでいるオレはこう考えるよというセンスで答えていく質問コーナーである。自分が切実に考えている悩みや素朴な疑問,そんなものに対して,誰かに1から考えてもらって答えてもらったことがありますか?その答え,いい答えだけど,どこかのテレビで見たな,ほらほら諺なんて持ち出しちゃって,なーんてことよくあるでしょう?うまいこと言った気になっちゃって,みたいな。鷹の目Q&Aはそんなことは絶対にしない世界で1つだけのナンバーワンよりオンリーユーの詩の世界なのである。
ちなみに,文中で出てきた吉福さんの本はこちら↓
『処女航海―変性意識の海原を行く』(吉福伸逸・青土社)
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うわっ、超面白い!
返信削除うーむ、おもしろい。海水浴に年に1度もいかない男のサーフィンへの憧れ。できてしまってから分かるのです。まさにそうですね、深いですね〜
返信削除イヤイヤ、なんかこう、真実の瞬間の話は好きですねー。
返信削除真実の瞬間ってどういうこと??
返信削除途中で鷹の目が「波にのれた」って感じる所です。僕は悟った瞬間の事を真実の瞬間って呼んでます。あっ、これかっ!ってやつ。
返信削除真実の瞬間が豊富な人生、目指したいもんです。
なるほどー。たしかに悟りの瞬間だね。
返信削除こういうとき、うれしくなるよね
飽きた,とはいえ,ボードの上に立って,しばらくすすんだときは,
返信削除ああ,赤ちゃんが立ち上がったときって,こんな感じなのかな,
という久しぶりの感覚を味わいました。よれよれよれ〜って感じでしたが。
でも飽きたけど。。。
返信削除私もサーフィンちょっとやりたくなりました。
返信削除鷹の目の波に乗れた瞬間の気持ち、想像したら、
体とか気持ちにこびりついた何かが波にのった瞬間、剥がれ落ちるんではないかと、そんな気がしてしまいました。
でびも海大好きだけど泳げないから結局、砂浜で読書、なんだよね。サーフィンできたら海ともっと仲良しになれると思うと なかなかいいねー。
とても読んで気持ちのいい記事でした
でび