2012-01-05

Q35 往復書簡!鷹さんは、誰のために生きてますか?

あけましておめでとうございます!鷹の目です。

 すっかりご無沙汰してしまい、すみません。
もう年が明けてしまったのですね。
そんな2012年、新春早々に鷹の目が受け取ったのは、鷹の目さぼってんじゃねえ!というお叱りとこんなお手紙でした。それではこのお手紙への返信を2012年の鷹の目の1発目にさせてもらおうということで、この手紙の主と往復書簡形式でお送りします!

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手紙の主さんからのお手紙
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バリでの生活どうですか?先日は「仕事ちゃんとやらなきゃ」とか言ってましたが、大丈夫ですか?つまり、バリに行ったのも結局は逃避だったんじゃないか、なんて、心配しとります。

さて、
日本では震災から1年が経とうとしています。震災をきっかけに、「家族回帰現象」とか言われて、「家族と過ごす時間を大切にする」なんて思想が流行し、ひいては、この1年で結婚した人の多かったこと!

暮れや年始のテレビ番組の前口上やらでは、「震災で価値観がぶっ飛んで、自分を見つめ直して云々」とか言ってました。

はたまた、「衣食住を中心にした暮らしを見つめ直す」とか、「遊ぶためではなく、生きるために時間を使おう」とか、若干のロハスも入ったような、「家族や暮らしそのものを大切にする」という思想が横行しています。

横行なんて言い方をするのも、こういった本質的な事柄が、流行で行ったり来たりするというコト自体に辟易しているからに他なりません。個人的には、こんなに本質的な事柄が、流行で変わっちゃう人生なんて、つまんなすぎてあり得なーいって思ってるわけです。

「家族のために生きるもヨシ」「自分のために生きるもヨシ」「ハイブリッドで行くもヨシ」です。でもこんなモノは、思想や信条、行きがかり上の仕方なさ、ないものねだりや天邪鬼といったものに左右されこそすれ、流行で決めるもんじゃないだろうと思った次第。

こんな流行の最中であっても、自己の充実のために海外渡航した鷹さんなら、この話わかってくれるかと思っていたのですが、そこにきて「バリ渡航は逃避だった説」。がっかりです。そんな私はと言えば、「家族のためと」「自分のため」を行ったり来たりする、「ハイブリッドにすらなれない、体たらく」なんですけどね。

Q35 というわけで、鷹さんは、誰のために生きてますか?=================================

A35
 手紙の主さん

 鷹の目は自分のためだけに生きてきました。
これは本当の実感で、扶養家族はいないし、両親は健在、兄弟は上にひとりいるだけで、鷹の目が誰かの面倒を見なければいけないという状況になったことがないのです。

自分のためだけに40年弱を生きてきました。

久しぶりなので筆が進みません。グダグダになる予感を感じつつ、一応書簡を進めたいと思います。

鷹の目はこんな台詞を軽蔑していました。
「おれにはもう嫁と子供がいるからな〜。嫁子供さえいなければおれも海外でも行って好きなことするんだけどな〜」

いままでこんなことをよく耳にしました。すると鷹の目は、おまえ、女子供をダシにして言い訳してんじゃねえよ、家族のせいにしてんじゃねえよ、お前に勇気と創造力がないだけだろ、ましてや結婚して子供をつくったのはお前の選択だろ?と。それはそれで好きなことをしたんだろ?って。

こどもが成長したときに、「お父さんはおまえのためにやりたいことを我慢したんだよ」らしきことを匂わせて、「お父さん、自分がやりたいことを我慢してまでぼくのために生きてくれてありがとう」とでも思ってもらって親孝行でもしてもらおうと思ってるのか?
というか、自分がへたれだったことを一生の間見つめないで済むいい言い訳を手に入れたものだな、

という少々暴力的とさえいえる憤りを感じたものです。


ところが。
世の中には、本当に家族を顧みず、好きなことだけをやり、ばくちや酒や女に溺れ、それでも「お父さん」と呼んでもらおうとする父親もどきもいるらしいということを知ったり、そうは言ってもやはり、子供は大学まで出してやりたいし、お金に不自由したと思って育ってもらいたくない、そのためには今この仕事にしがみつくほかなく、自分にはもっと他の可能性があったのではないかと昨今思わないではないが、もはやじっくり検討してみる気持ちの余裕も、時間の余裕も、それを実行に移すエネルギーもなく、さらに妻の理解さえも得られそうにないのだ、という男のしみじみとした葛藤もわかるようになる年齢にさしかかっているのです。そしてそれを両立させるということが、運や実力の上でも生易しいことではないということがわかってきてはいるのです。

かくいう鷹の目は、将来こどもができたときに、おまえのためにやりたいことができなかったと、みじんも言いたくないがばかりに、自分に対して徹底的な自由を与えてきたのです。そしてその結果としてバリ島にいるのであり、しかしそれは夢を叶えているなどという階段を上るような行為の果てにあるものではなく、ましてや夢などというものが自分の中でも二転三転していくのを見るにつれ、おれの夢概念とはなんともいいかげんなもんだな、とうんざりさえしているのです。

おっと、なんか懺悔のコーナーみたいになってきましたね。あなたの質問が悪いのです。「鷹さんは、誰のために生きてますか?」などと言うものだから、内省モードになってしまったじゃないですか。

さっき回答しました。「自分のためだけに生きています」終わり。です。

いま、あなたの手紙をざっと読み返して、鷹の目がいいたいことは、
「人のことは気にするな!」
です。

震災以降にどんな流行があったって、家族回帰がまるで一時のはやりもののようにはやし立てられていたって、テレビや新聞で生き方を見直す人たちで溢れていたって、そんなの関係ねえのじゃないでしょうか?

あなたは余裕がありすぎるんじゃないですか?

鷹の目が10年間のお勤めと、10年間の放浪の末にたどり着いた地点は「サバイバル」です。自分がこの世の中で生き延びることだけが関心ごとであり、バリ島も自己の充実などではなく、生き延びるための現実的な選択としてやってきたのです。逃避などという生易しいものではありません。逃避といったってあなた、どこへ逃げるというのですか?かんたんに逃げさせてもらえる場所があるのなら速攻でそこへ生きます。しかし世の中それほど甘くはないでしょう。それともなんですか?あなたの懐に逃げたら匿ってくれるとでも言うのですか。

ふー多少興奮してしまいました。そう、現実逃避などという矛盾に満ちたことばをまだ使う人がいるのかと興奮してしまいました。この世に逃げる場所などどこにもありません。現実から逃げ切ることは現実に立ち向かうよりも困難なことではないでしょうか。

なんか、こんなまじめじゃなかったはずの鷹の目、調子が狂っています。

そう、手紙の主さん、あなたは、わかっていないことがあるんです。
それは、人は、誰かのためだけにも、自分のためだけにも、生きられないのです。
かつての武士のように、主君のための命さえも投げ出せる、そんな生は現代日本では超難易度の高い生き方です。また、見渡せば意外に選択肢も可能性もちらばっている現代、子供のためだけに生きると腹をきめたって、あれもできるんじゃないか、これもできるんじゃないか、という気持ちが、むくむくと立ち上がってくるのです。それはそれがちょっとがんばれば可能っぽいからです。30年前の日本と、今の日本は別ものなのです。いつまにか、なんでもありの世の中にすでに突入しているのです。あなたがどんな道を選ぼうと、命をかけて止めてくれるひとも、血相かえて飛んできて3日3晩寝ずに説得してくれる人ももはやいないのです。誰も、100%の正解がわからない世の中になったのですから。

 現代における創造力とは、あきらめない、ということです。
 
あなたは、誰かのために生きることも、自分のために生きることも、あきらめたくはないのではないですか?それならば、腹をくくるしかありません。決してあきらめない、と。
決してあきらめないと決めた人の前には、一見相矛盾する現実が横たわります。矛盾を抱えて生きるときに必要となるのがクリエイティビティーです。あなた、クリエイティブに生きてみたくはないですか?
あなたの状況はあなたオリジナルです。あなたはあなたオリジナルの答えと方法を探さなければなりません。だから、他人のことを気にしているひまなどないはずです。

と、ここまで威勢良く書いて、例によって例のごとく、鷹の目は、自分のことは棚上げさせてもらいます。鷹の目はそれができている、とは言わない、ということです。



じゃあ、このこの辺で最初のお返事は終わりにしておきます。
手紙の主さん、お便りお待ちしております。宛先はコメント欄でいいでしょう。
あ、ひとつだけ、鷹の目は打たれ弱いという現状認識を確認したうえで筆をとるようにしてください。よろしくどーぞ。

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