2012-01-13

Q37 もし自分に子供がいたら、身につけさせたいものは何ですか?

Q37 ②過去の事振り返ってもワクワク感があまりないから、もう一つ質問!
「もし自分に子供がいたら、身につけさせたいものは何ですか?(能力・感性など)」

=======================================

もし自分にこどもがいたら。自分のこどものことはまだイメージ湧かないので、最近生まれたかわいいかわいい、目に入れてるとちょっと痛いけど、どうしてもというなら入れないわけではない、姪っ子のことを考えながらお答えすることにします。

この質問を見たときに鷹の目が思い浮かべたには絵本作家の五味太郎氏のことです。
事実、鷹の目は、姪っ子に五味太郎の絵本を贈りました。「きんぎょがにげた」です。
もちろんこの絵本自体がかわいくて好きだし、こどもに人気と聞いていたので選んだのですが、五味氏の子育て思考にぼくが共感しているというのも見逃せない要因なのです。

まあいでしょう。五味氏の思想をここでぼくが語ることはしょせんできません。
では、姪っ子に身に付いてもらいたいものは何か?
それは五味氏の言葉を借りていうならば「生き方への気楽さ」です。

それにはまず鷹の目のひとつの信念を開陳すべきでしょう。
それはこういう信念です。
①人はそれぞれの才能(五味氏の言葉なら「質」)を持って生まれてくる
②その才能はうまい具合に世の中にばらけて生まれてきて、組み合わせてうまく社会を回せるようになっている(こっちはまだ強固な信念とまではなっていないけど)

この①および②のことを前提として、漠然としたかたちで信じた上で申し上げるならば、まず、姪っ子には自分の質にあった生き方を見つけていってほしいと思います。
そして、その質にあった仕事をして生きていってほしいと思います。もちろん、いわゆるお金をもらえる「仕事」を誰もがしなければならない、というわけではなりません。ただ、この世の中でのなにがしかの役割は担わなくてはいけないでしょうから、その役割が自分の質にあっていることだといいよね、と思うわけです。

つまり、余計な苦労はさせたくないのです。やっぱり親心です。
同じ苦労をするにしても、ふと一日を振り返ったときに、ああ、しんどかったけど楽しかった、私これをやっていてよかった、としみじみお茶を飲めるような日々を送って欲しいと思うわけです。

ですので、なるだけ社会に出る前に、自分の得意なこと、好きなことを見きわめ、もちろんいろんなことを試して失敗したうえでの話でしょうが、自分の質をなんとなく把握し、その質にあったことで社会に出て行くぞ、と漠然とはらを決めるようなふうであったらいいなと思うのです。

五味太郎氏も言っています。「自分の好きなことがわかってる奴には社会はけっこう甘いよ」と。

それをまず第一に望むのです。自分の好きなこと、得意なことことを知り、その能力を花開きつつ社会に静かに楽しげに船出していくように生きてくれるといいな、と。
もちろん、途中途中は大失敗をしたり、大間違いをして、へこんだり、うなだれたり、大転換を余儀なくされたりするでしょうが、大筋、人生の大筋はその線でいっている、そのように生きてくれたら、と思うわけです。

しかししかし、世の中は思い通りにはできていません。無知から来る過ちもたくさんするでしょうし、世の中自体がいいかげんなもので、時代の状況で価値観やなんやもくるくると変わってしまうものです。そんな中を生き抜いていくわけですから、なんでも思い通りにならなければいや、という感じになってしまうと、なかなかどうして生きづらいのだと思われます。また、一番気をつけなくちゃいけないのが、不安や心配です。不安や心配が強すぎて、こわごわと何も踏み出すことができない、欲しい物にアプローチすることができない、求められてもレスポンスすることができない、ということではなかなかどうしてなるものもならなくなるものです。

生き方の気楽さ、つまり、まあどうにかなるわ、とか、結局はハッピーな道が見つかっちゃう、とか、こっちがだめならあっち行けばいいんじゃない?、とか、まあさまざまな形態で、どうにかなるさ、という態度を決め込んで生きて欲しいのです。
どう転んでも幸せになるわ、わたしがそう生きるんだから、という感じというか。

なんか肝心のところで筆がすすみません。たぶん鷹の目自身が得意ではない生き方のことを書こうとしているからでしょう。

そう、だから五味氏が言っているように、親の役割があるとしたら、「最後はここでご飯を食べられる」という安心感を与えてあげて、あとは自分でがんばんなさい、なんとかなるから、と言ってあげられることではないでしょうか。

そして大人の責任において、こどもが自分の質をみきわめ、質に合った能力を磨き、質に合った未来を築いていこうとする営みを、邪魔するもの、そういうものから守ってあげる。それはこころない大人の言葉かもしれないし、学校からの強制かもしれないし、まあ結局は大人がする余計なことでしょう。ともすると親の自分自身が一番邪魔してた、という結果も少なくないでしょう。

 おっとと鷹の目は少し悲しくなりました。
こんなきれいごとを書いておきながら、自分が親になったときにそのようにできるか、他のこどもに大人としてそのように本当に接することができるかというと、ぞっとする気持ちもいたします。ぼくは本当にそれを信じているのだろうか、五味氏のことばに感銘は受けはしたが、それを本当に心の底から腑に落ちて自分やこどもに適用できるのだろか、と。

まあいいでしょう、また長くなりました。なんとなく伝わったのではないですか?
生き方の気楽さ、そういうものを身にまとって軽やかにたくましく生きていってほしいものです。切に願うとともに、きっとそうなるだろうと今は思えるです。

0 件のコメント:

コメントを投稿