2011-09-18

Q19 鷹さんは最近NLPに興味があると聞いていますが、本当のところどうなんですか?






Q19 鷹さんは心理系のワークはあらかたやり尽くして,もうその限界と興味も失ったと言ってましたが,最近NLPに興味があると聞きました。本当のところどうなんですか?

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A19 鷹の目の答え

NLP、興味はあるんだよね。
苫米地英人なんかもやってたみたいだし、本当にポジティブに毎日を過ごせるようになるなら効果絶大じゃない?
いや、NLPについては本も読んだことないし、1回もやったことないんだけど、伝え聞く話とかネットでちょっとみた情報で言ってるだけだから、本当のNLPのことは知らないけど、
もしNLPが、
自己暗示を駆使したりして自分の中のネガティブで邪魔な習慣をストップさせ、ポジティブで自分本来のすがすがしさを持った人生を生きられるようにする技法の集積、だとしたら、の話ね。ぼくの今の理解はこれだから。

だとしたら、試してみたいし、というか、ゲシュタルトセラピーとか、ハコミセラピーとかさんざん心理セラピーを体験してきたからね、おれも。だからある程度類推できるわけで。


なんかね、ここでいきなり飛ぶんだけど、「使用目的の無い」もののほうが効く気がするんだよね。
どういうことかというと、たとえば哲学ね。いま哲学を結構興味もってるんだけど、哲学って使用目的がないんだよね。
つまり、何のために哲学をやるの?っていうことに回答がないの。哲学をやればどうなりますか?って聞かれても、わかりません、って答えるしかないわけよ。
哲学は何かのためにやるんじゃなくて、やらざるをえないからやるわけだから。

えっともう少し言えば、こう言うことはいえるわけ。哲学をやれば論理的思考力が向上します、とか。哲学をやれば、とkとん考えるとう習慣がつきます、とかね。
でもね、別に論理的思考力を高めるために哲学をやるわけじゃないからね。あくまで副産物なわけで。本気で哲学やってる人で、哲学をすれば頭がよくなるから、とか、XXの役にたつから、という理由でやってる人はいないと思うね。

哲学には目的はないわけよ。
最初に疑問があるのよ。どうしても解けない疑問が。神は実在するか、でもいいし、物質とは何か、でもいいし、存在するとはどういうことか、でもいいし、自分とは何か、でもいいし。なにかどうしても解けないけど、頭を離れない疑問にとりつかれるわけよ。
もっと何が疑問かもわからない場合もあるのかもしれない。なんかわからないけど、なんかもやもやしてイヤ!みたいなね。まずそういうものが源にあるわけ。それを「哲学の起源」って言ったりするんだけど。

で、なんだかわからない疑問にとりつかれちゃったわけで、しょうがなく哲学をやり始めるんだよね。哲学の道を歩みはじめるの。しょうがないからやるんだよ。頭を離れないんだから。ジョギングして汗かけばさっぱり忘れられる人には必要ないんだよ、哲学なんて。ね。どんなことをしてもどうにもならない、どの本を読んでも答えが得られない、気持ち悪い、困る、このままじゃ日常生活さえ破綻してしまう、そういう人が哲学しはじめるんだよね。

たぶんそういう人が一定割合いるんだね世界には。世界はそういう人を適宜生むわけだ。で、運悪くそんなふうに生まれちゃった人がしぶしぶやりはじめるのが哲学なんだよね。たぶんね。

で、そいつほどじゃないけど、だいぶマイルドではあるけれど、似たようなどうしようもない疑問にとりつかれてそわそわしちゃってる奴らがいて、そういう奴らが哲学の本を買うんだよね。自分でがっつり哲学するほどじゃないけど、哲学書を読んでちょっと自分の感じを確かめたい、って奴らが。

そういう構造の中にあるわけであって、決して哲学が生活一般に役に立つからやってるわけじゃないんだよね。
哲学やっても成功しないよ、だって。哲学でまともに食えてるやつなんかいないんだから。食えない道なんだから。悪魔の道なんだからね。そんな一日中、考えてるだけなんだから。
でもそれをやらないと生きてこれなかった、っていう人がいるんだね。ぼくの知り合いでぼくの哲学の師匠の塚原さんって人もそんな人のひとりだね。他には知らないけど。

で、ぼくがなんで「哲学の会」にせっせと通っているかというと、これがよくわからないんだよね。何かが満たされてるにはわかるんだけど。なにかこうある意味生活とぜんぜん関係ないような領域でとことん頭脳を使って、心ゆくまで議論する、っていうことがどうにも、そんなに好きってわけじゃないけど、何か定期的に必要なのかな。じゃないとなにか鬱屈していってしまうものがあるというかね。頭脳の興奮があるからね、哲学には。そういうものを求めて行ってるのかもしれない。

というわけで、哲学には、使用目的がないんだよね。いや、もちろん各人、個人個人にはそのひとの目的、理由、効果というものがあるとは思うんだけど、一般的に哲学やればこうなりますよ、っていう何か結果を保証できるようなもには何もないと思うのよ。

逆にあったらだめ、というかね。

で、NLPなんだけど、どうもNLPには使用目的がありそうだなって感じてるのよ。
わからないけどね、実際のところはぜんぜんわからないんだけど、使用目的があるよ、NLPをすればこういう結果が得られますよ、っていう何かそういう世界のほうに寄ってる世界なのかなって思うわけよ。
ごめん、ほんと知らずに言ってるから許してね。べつにNLPじゃなくてもいいよ、いわゆるセラピー的なものってことでいいよ。

でもね、そんなぼくもいずれはNLPをやってみると思うよ。ピンとくる先生とか見つけたら。興味はあるからね。
興味あるし、実際、自分のネガチブなところとか、心配性で臆病なところろか治るなら治したいし、そのせいで今人生結構行き詰まってるし、ワラをもすがる気持ちあるからさ。自己啓発本なんて100冊以上買ってるしね。

でもね、何か使用目的がないものに惹かれる自分がいます。
なんだろうな、矛盾してるような気もするけど。本当に切実なのはどっちだっていったら、実人生のほうだし、もっと言えば、これからどんな仕事して生計たてていけばいいんだって路頭に迷ってる最中なわけで、そういうことに解決を見つていけるなら、NLPだってなんだってやったほうがいいんだけど。ポジティブに自分の人生をどんどん切り開いていく自分に自分を変えていけるなら。


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伊藤鷹の目Q&Aとは…
アルヨプロジェクトの頭脳、伊藤鷹があることないこと全ての質問にとりあえず答える。

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